日本メンタルヘルス協会
衛藤先生『ひとりごとより』一部抜粋
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僕は教育とは、「目に見えないタイマー付きの時限爆弾だ」と親たちに話します。
爆弾(教育)は、発火(気づき)が起こり、そして爆発(変化)が生まれる。
それが、いつ?なのかが誰にもわからないのです。
それは、親も本人である子供自身も、わからない。
いつかの来るであろう理想的な成長を祈りながら、
子供には、親が信じることを、たくさん語り、伝えないといけません。
でも、伝えたとしても、すぐには子供は結果がでない存在だし、
親の日々の「言う」ことと、親の「行動」への矛盾を感じた子供は、
それを素直に受け取るかどうかは誰にもわかりません。
でも、あきらめないで、自分と子供の成長を互いに見つめながら(共育)
いつか教えが発火して、相手に変化が起こると信じて、たくさんの思いを仕掛けないといけません。
あきらめないで、語り続け、いつなのかわからない気づきの大変化を祈りながら。
「あせる心」は教育を失敗させます。
きっと、この子は大丈夫と信じる気持ちが、教育には一番大切なのです。
「人智をつくして天命を待つ」と言う言葉があります。
人も自然界で生きる以上、やれることをしっかりとやったら、後は、その人の中に眠る、爆発的な成長力を信じて待つしかありません。
http://www.nobuyukieto.com/column/diary/20100727.html
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私も一親として、メンタルHP掲示板に書きました。
<共に育つ>
親として子どもを育てることは
自分が試されることだと、いつも感じます。
幼い時は、
なんでここで泣く?
出かけるときになるとなんで熱を出す?と可愛い悩み
友達と関わるようになると
なんでたたく?
なんで意地悪をする?
思春期になると、なんで?の連続。。。
出来事ではなく我が子の心や行動を、
心理学を思いだしたり、自問自答したり
それでも怒って、泣いて、仲直りして。。。
犬も食わない夫婦げんかのように
お互いが親子として育ってきたように思います。
次女は高校生にして家を出て、寮暮らし。
夏休みにはいり深夜バスで帰るのを
本人、私達も、楽しみにしていました。
夜中に電話。
娘「乗り遅れた~~」
えええっ!?と思いつつ、、
それは一応メンタル〇年生として
私「そっか、
遅れちゃったのはもうしょうがないね・・・」と
受け入れ態勢。だのに、怒りだした!!
「しょうがない、じゃない!!
も~~いやだやだ、こんな私、嫌。死にたい!
なんかあってもこういうことだからね」
ちょ、ちょっと、まってよ~
私「そんな言葉を軽々しくつかわないで」
(「死にたいと思うくらいに遅れた自分に
嫌気がさしてるんだね」とは言えなかった!)
後はもうお互いに
あ~でもない、こ~でもない
言わなくていいことまで持ち出して数分後。
トーンも下がり
「バスに乗れなかったのは残念だったね」と
やっと、言えました。
一晩どこで過ごすのか、心配で眠れないじゃない~
と思っているまに寝ていた私。
翌朝の新幹線に乗り、ひと段落と思いきや
「新横浜、ねすごした~~」のメール。
も~しょうがないよね、私の子だもん。
子どもと一緒に『七転び八起き』
時間も気持ちも使っての、本気の子育て。
辛かったこともあったけど
そのぶんちゃんと繋がれた。
過ぎてしまえば素敵な思い出。
子育てって修行のようだけど、
やっぱり楽しいです。
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