先日リンゴの木の保育研修に行きました。
毎年恒例、スタッフ全員で汐見先生のお話しを聴き
チューリップと個々の振り返りをします。
今年のお題は『評価によって人は向上するのか!?』です。
スタッフの感想を載せていきますので、
講演会内容を想像し、お楽しみください。
今回のさゆちゃんは、二年目の保育士。
夏休み中は学童のお手伝いにいっています。
★さゆ
〈言葉の背景には想いがあること〉
「言葉がなぜ生まれたか。それは想いを伝えるため。」
そのことを思い出しました。
〈支配の思考〉
評価しようとする。
管理しようとする。
支配しようとする。
そんな思考が頭に浮かんだ時点で、相手や、
自分自身のいらない力までもがぐぐっとよりかかってくる。
〈海外(ヨーロッパ)と日本の違い〉
私はやっぱりヨーロッパの方が好きだと改めて思いました。
海外の子育てには学生のころからとても興味がありましたが、
さらに知りたくなりました。
「日本の子育てはおせっかい」
笑ってしまいました。
〈人格と行動は別〉
子どもが何か失敗したとき、その子の行動を見る。
その子の人格を見るのではない。
〈ほめる〉
ほめるの裏の感情は?
純粋な感動?
それとも評価?
今私は学童で働かせてもらっているのですが、
こどもたちに、純粋な想いだけでやりとりできている実感があります。
“私”というただひとりの人間が、
そこにいるだけなんです。
「お手伝い」というポジションが、
変に力が入らずいいようです。
同じ目線に立つ。と学生時代よく使っていましたが
同じ目線に立つではなく、もうすでに同じというか…
一緒というか、枠がないというか…。
こどもと一緒の空間、時間にいるだけで
感じることのできる感覚が確かにあることを今実感しています。
支配になれたこどもは、自分から支配下へ行く傾向があります。
自分で考えること、選ぶことをもうしていないのですから、
それはとても恐ろしいことです。
支配された故に自分をコントロールできず、
泣いたり怒ったり、少し違った形で発散させている子もいます。
目に見えない掟に苦しんでいるかのよう。
それは親や大人が勝手に作り上げた、自分好みのこどもにするためのエゴです。
「なんで人を叩くの?叩かれたからって叩いていいわけ?」
そういう子は悪い子だ、と、この後に続くのでしょうか。
そこには感情があったのに。
私が行くと必ず「絵描いて!」
と紙と鉛筆を持ってくる女の子がいます。
有無を言わせぬその物言いにイラッとした私は、
描くのが当たり前と思ってるような
そんな言い方がイヤだ!こっちにも気持ちがあるんだからね~!と、
自分のありのままの気持ちを伝えました。
女の子は少し面食らった顔をしていましたが、
「でも、あたしは描いてほしかったの!描いてくれたっていいじゃん!」
と、純粋な自分の気持ちをぶつけてきてくれました。
私は彼女はわがまま言っているのではないことに気づき、
彼女は私にも描きたいとき書きたくないときがあることに気づきました。
確かに、そのときお互いつながった気がしました。
私はひとりの人間でしかないこと。
まずは力を抜いて、そこに一緒にいること。
支配の念を無くすこと。
背負うものは何もないこと。
そんな“無”に近い気持ちで毎日学童を楽しんでます。
こどもたちもあたしのことをそんなに嫌いではないようです。
私はこどもたちが好きです!
